阿部詩選手の敗北と、時代に合わせた指導の変化
先日、岐阜メモリアルセンターで子供の習い事の大会がありました。
親御さんの中には「子供の試合は緊張する…」と言われる方もいますが、僕自身はそう感じたことはありません。まだ小学生なので、結果がどうであれ、負けても失敗しても構わないと思っています。
それよりも僕が一番大切にしたいのは、子供たちが〝のびのび、いきいきと〟活動しているかどうかです。勝つことにばかり囚われ、かたくなったり、深刻になったりするのは可哀相に思えてなりません。
パリオリンピック女子柔道で、阿部詩選手が2回戦で敗北し、会場で泣き崩れる姿を見て僕も胸が痛みました。阿部選手は誰よりも努力してきた選手で、その悔しさは計り知れないものだと思います。
しかし、よく考えてみると、これは昭和後期に育った僕たち世代の影響かもしれません。僕たちが学生の頃のスポーツは、「水を飲んだらバテる」をはじめ、「試合中に声が出ていないと、人前で校歌を歌わされる」や「歯を見せるな(笑うな)」、そして「負けたら悔しがれ」など、努力や根性が美徳とされてきました。そんな僕たち世代が今は指導者となり、その教えをそのまま現代の選手たちに伝えているのかもしれません。
自分も指導する立場として気をつけなければならないと思いました。ある意味、阿部詩選手は、そうした「水を飲んだらバテる世代」の教えを受けた犠牲者なのかもしれません。
一方で、比較的歴史の浅いスケートボードやBMXを見ていると、選手たちが負けても失敗しても清々しい姿が目立ちます。みんな生き生きとして爽やかで、国境を越えて相手を称え合う姿に心地良さを感じます。これがスポーツの本質ではないかと僕は思います。そして、そうした選手たちにスポーツマンシップを感じます。
阿部詩選手にも、勝敗にこだわるのではなく、もっと柔道を楽しんでほしいと願います。そして、僕たち世代の指導者は、選手たちに「勝つことだけが全てではない」というメッセージを伝えていかなければならないと思います。
昭和後期の「努力」「根性」が美徳とされた時代からの価値観を見直し、スポーツを通じて清々しさや楽しさを感じられる指導を目指したいです。スポーツは勝敗だけではなく、楽しむことが本質であり、それが選手たちの成長につながると信じています。
そんな、僕の価値観、美意識です。