【高校野球】敗北後の涙について考える

いま、甲子園で高校野球が開催されていますが、試合後に負けたチームの選手たちが涙を流しているのを見て、僕は少し違和感を覚えます。彼らの涙は、多くの場合、日々の努力が報われなかったことへの感情の表れかもしれません。それだけ真剣に取り組んできた証でもあり、周りからは感動的な瞬間と捉えられることが多いと思います。

ただ、こうした涙は昭和の時代から続いている光景でもあり、今もなお「勝ってなんぼ」の指導が行われているのではないか、という疑問が浮かびました。僕はボクシングの指導者として、勝敗だけにとらわれることの危険性を感じています。
スポーツは本来、「愉しむこと」や「成長すること」が目的であり、結果だけにとらわれてしまうと、選手たちが本当にスポーツを楽しめているのか疑問に思います。

相手選手を称え、彼らが自分たちよりも強かったというシンプルな事実を受け入れることができれば、逆に爽やかに、清々しく次のステップに向けて気持ちを切り替えることができるかもしれません。その姿勢こそが真のスポーツマンシップであり、勝敗にかかわらず、スポーツを通じて得られる本当の成長と喜びに繋がるはずです。

もちろん、努力してきた過程の終わりに涙を流すことは自然なことですし、その気持ちは尊重されるべきです。しかし、もしもその涙がプレッシャーや勝利至上主義から来ているのであれば、僕たち指導者や大人は、もう少し「愉しさ」や「学び」を強調したアプローチをしていくべきではないかと感じています。

僕が指導しているボクシングでも同様で、選手たちにとって、勝利は大切な目標ですが、それ以上に大切なのは、自分自身の成長やスポーツを心から愉しむことだと思っています。涙は感情の表れとして尊重されるべきですが、同時に、その背景にあるものにも目を向け、選手たちが本当にスポーツを愉しんでいるかどうかを考えていきたいと思います。

そんな、僕の価値観です。