「殴っていいですか?」という質問から考えたこと

先日、ジムの会員からLINEでこんな質問が届いた。

「クリンチされて離したあとすぐ殴っていいですか?」

この問いに対して、僕はこう返した。

「うん、ルール上は問題ない。でも当たらないと思う。大切なことを教えてなかった。次回教えるよ」

このやり取りの中で、最も気になったのは「殴る」という言葉である。ボクシングは「殴り合い」ではない。「当て合い」だけでも足りない。本質はそこにない。
ボクシングとは、攻撃と防御の応酬であり、「当てて、かわして、また狙う」という、攻防のやりとりそのものを愉しむスポーツである。

「殴る」という意識には、“我”が入り込む。倒したい、打ち勝ちたい、というエゴがパンチに宿ると、その気配が相手に伝わり、読まれ、避けられてしまう。

逆に、「手を出す」「腕を伸ばす」といった、シンプルな動作の意識に変えるとパンチが当たりやすくなる。パンチは「感情」で打つものではなく、「動作」で出すものだ。

防御も同じである。反射ではなく、観察。力ではなく、間。そこにあるのは、攻撃と同じくらい精密な技術と感覚だ。

僕は、「脱力は最高の技術」だと思っているが、その脱力の前提にあるのが「感謝」であり、「我を手放すこと」であると考えている。

つまり──「殴ろう」としないこと。
「自分が、自分が」とならないこと。

ボクシングはケンカではない。
相手を傷つけるためのものでもない。
スポーツであり、技術であり、そして対話である。

杉田ジムは、そんな奥深いボクシングを
愉しむための場所でありたいと考えている。